映画「100,000年後の安全」から放射性廃棄物の行方を考える

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東日本大震災の直前にたまたま観に行った映画がこの「100,000年後の安全」です。
当時から原発の安全性を疑問視していたので、この映画は絶対に観に行こうと思っていたのでした。


ウィキペディアによると、震災を受けて2011年4月に緊急公開とあります。
でも私、震災の前に観たと思うんですよね。どこの映画館か忘れましたが。
たまたま2011年の1月か2月に福島にも日帰り旅で行っていたので、いやな重なりだなぁと思った記憶があるのです。

まぁ、私の曖昧な記憶はさておき。

放射性廃棄物の行方

安全なレベルになるまで100,000年かかる、高レベルの放射性廃棄物。
これを地下深くに建造する地下都市のような施設に埋めて、やり過ごそうという嘘みたいな本当の話です。
しかも、クリーンなイメージのある北欧フィンランドがその舞台です。

「オンカロ」と呼ばれる放射能廃棄物最終処分場は、18億年変化していないという安定した地層につくられています。
放射性廃棄物が無害化するまで100,000年。
確かに18億年という途方もない時間に比べれば、100,000年は短く感じるし、これなら安全のような気がするかもしれません。

100,000年という時間

しかし、人類の歴史に照らし合わせてみて下さい。
100,000年前はマンモスがまだいた時代です。
日本列島が大陸から切り離されたのが13,000年前くらいだと言われています。

それと同じだけの月日を、地下450メートルに埋めたからといって無事に過ごせるでしょうか?
100,000年後に人類はまだ生息しているのか、同じ言語が使われているのか、文明はあるのか。

100,000年前の人とコミュニケーション、とれませんよね。
では100,000年後の人とはコミュニケーションとれるのでしょうか。
とても危険なものが埋められていると、100,000年の間ずっとどんな生物にも分かるような警告を出し続けるなんてこと、できると思いますか?

開けてはいけないパンドラの箱

やはり原子力は人の手に負えるものではないと私は思います。
開けてはいけないパンドラの箱だったのです。

リスクを先送りにして、自分たちの世代はエネルギーをたくさん使って長生きして。
そんなことが許されるはずがありません。
目の前の子や孫はかわいいでしょう、ではその先の子孫たちも大事なはずです。

現実の問題として

この映画「100,000年後の安全」を観ていると、その映像美もあってSFでも観ているような気分になります。
しかしこれは、現実に起こっている問題です。

単に否定するだけではなんの解決にもなりません。
こうなれば無事に100,000年を過ごしてくれるよう祈るばかりです。

でも、こんな問題が起きているのだから、目の前の止められるはずの原発を止めて欲しい。
今できることをして欲しい。そんな風に思います。

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